語り部通信

『わたしが・棄てた・女』『沈黙』『深い河 ディープ・リバー』まで
      ――遠藤ボランティアグループ誕生の源流をさぐる――

9 日本人の身丈にあったキリスト

マハトマ・ガンジーは、『ガンジー自伝』(マハトマ・ガンジー著、蝋山芳郎訳、中公文庫)に、「神は宗教を持たない(God has no religion.)」ということばを遺しているが、『深い河 ディープ・リバー』には、次のようなマハトマ・ガンジー語録集の一節が登場する。

「私はヒンズー教徒として本能的にすべての宗教が多かれ少なかれ真実であると思う。すべての宗教は同じ神から発している。しかしどの宗教も不完全である。なぜならそれらは不完全な人間によって我々に伝えられてきたからだ」(中略)
「さまざまな宗教があるが、それらはみな同一の地点に集り通ずる様々な道である。同じ目的地に到達する限り、我々がそれぞれ異なった道をたどろうとかまわないではないか」

【『深い河 ディープ・リバー』十一章「まことに彼は我々の病を負い」 306ページ】

松岡正剛さんは『17歳のための 世界と日本の見方』(春秋社、2006年)のなかで、インドで生まれた仏教には、代表的な四つの基本認識として『一切皆苦(世の中はすべて苦しみなのだ。この世に生まれたことがそもそも苦しみなのだということを知りなさい)』、『諸行無常(物事は常に次々に変化していく。世の中は無常である。だから人間は変わっていったっていい、変化したっていい)』、『諸法無我(この世のことは、すべてが人間の自由になるとはかぎらない。人間の苦しみはこの「自由にならないもの」「無常なもの」からおこるのだから、そのような執着を捨てなさい)』、『涅槃寂静(静かで、いろいろなことに迷わない、澄んだ境地にいたる)』があるという意味(※カッコ内は原山の補足)のことを書いている。

遠藤さんの人生には、いつも病気があった。最初は1952年、フランス留学(リヨン大学)中に肺結核を発症し、志半ばで博士論文の完成を断念。翌1953年、南回りの航路で失意のうちに帰国した。1955年に『白い人』で第三十三回芥川賞を受賞するも、1960年に肺結核が再発し、翌1961年に慶應病院で肋骨を何本か切除する肺の大手術を三回も受けた。その後も、手術時の輸血がもとでB型肝炎を発症し、さらには糖尿病も見つかった。
 私が「遠藤」からだ番記者だったころ、痔(ドーナツ型座布団持参で、遠藤さんの講演にお供した)、白板症の疑い(精密検査の結果、幸い誤診だったが、一時はかなり落ち込んでおられた)、前立腺ガンの心配(切らずに治す泌尿器科医、もちろん名医をさがせという特命)など、私がいた編集部はもちろん、ときに拙宅まで電話がかかってきたこともある。
 大きな枝葉を繁らせた菩提樹の下で、二十一日間も瞑想をつづけたブッダが得た最初の悟りは「一切皆苦」である。北インドのマガタ国の王子として生まれ、何不自由なく育ったブッダが、城を棄て、家族を棄て、すべてを棄てて、放浪の旅に出た(出家)のは、なぜ人間には「生老病死」の苦しみがあるのかという根源的な問いの答えを求めてであった。
 そして、長い瞑想の果てにたどりついた悟り(final answer)が「一切皆苦」であり、ブッダはそこから目をそらさず、「一切皆苦」あるいは「生老病死」をそのまま受け止めることで「解脱」の境地を得たといわれている。

10 「私の『ヨブ記』を書こう」

『文藝春秋special』(2009年季刊春号)に、いよいよ病状が悪化した遠藤周作さんを見舞ったときのことを書いた元聖心女子大学教授で、カトリックの敬虔なシスターである鈴木秀子さんが寄稿された「ヨブ記」が載っていた。

遠藤氏は、ヨブが体験したような辛い病を次々と背負いました。ついには、どんな痛みより耐え難いと言われる、全身の激しいかゆみにさいなまれました。
 ヨブと似た状況に、順子夫人がふと洩らされされました。
「あなたはヨブと同じね」
 その一言に、遠藤氏は目を大きく見開きました。私は遠藤氏の目に力がみなぎるのを凝視していました。それは深い感動の一瞬でした。
 遠藤氏はぽつりと、「そうだ、私のヨブ記を書こう」と、ひとり言のようにつぶやきました。それ以降痛いとか、かゆいとか、ひと言も口にしなくなりました。病は昂じていましたから、かゆさはどんなに辛く、耐え難いものであったか知れません。

【『文藝春秋special』/2009年季刊春号】

遠藤さんは「私のヨブ記」を書こうとしていた。このエッセイを通じて、旧約聖書のなかでも「モーセ五書(『創世記』『出エジプト記』『レビ記』『民数記』『申命記』」ではなく、「諸書」の三番目に出てくる『ヨブ記』にわが身を映して「サムシンググレート」の真意(神意)をさぐろうとした、遠藤さんの小説家としての壮絶な覚悟にふれることができた。  鈴木さんはさらに、遠藤さんのキリスト者としての覚悟を、次のように受けとめている。

しかし遠藤氏は、ヨブの「だまって現実を受け容れること、神のみ旨は自分の病を癒すことではなく、苦しみを通して、変ることのない神の愛に導くことだ」の悟りを自らのものとしたのでした。それから遠藤氏の病状は悪化し、ついに遠藤周作著、『私のヨブ記』は書かれませんでした。しかし遠藤氏のこの世での最後の日々は、神の前におのれの小ささと、起こってくることを謙虚に受け容れ、神の愛を信じて耐え抜くことでした。

【『文藝春秋special』/2009年季刊春号】

鈴木さんの深い洞察に異論を唱えるつもりはない。しかし、キリスト教神学や西欧社会に衝撃をあたえた作品『沈黙』を皮切りに、最晩年には東洋哲学の源流に迫る『深い河』を著した小説家が書く『私のヨブ記』は、従順、堅信というよりはむしろ挑戦的で、無明と混沌のなかから、遠藤流「サムシンググレート」を描き出す作品になったのではないだろうか。

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