語り部通信

『わたしが・棄てた・女』『沈黙』『深い河 ディープ・リバー』まで
      ――遠藤ボランティアグループ誕生の源流をさぐる――

11 『ヨブ記』における神の存在

『ヨブ記』(関根正雄訳、岩波文庫、1971年)では、「全くかつ直く、神を畏れ、悪に遠ざかっておる」ヨブの信仰を、神はさまざまな試練によって試すが、ヨブはことごとく堅信ぶりを証明してみせるので、こんどは悪魔(サタン)にヨブの財産を傷つけたり、からだを傷つけたりさせる。悪魔がたくみにヨブに悪腫をつけると、ひどい皮膚病に罹る。見かねた妻が、「あなたはまだ自分を全きものにしているのですか。神を呪って死んだらいいのに」というと、「お前の言うことは愚かな女の誰かれが言いそうなことだ。われわれは神から幸いをも受けるのだから、災いをも受けるべきではないか」と言って、決して神を恨まない。
 しかし、「神は絶対に善人を苦しめることはないはずだ」「罰せられるのは悪人だけだ」と説く三人の友人たちの慰めに、ヨブは自分がまったく悪行をはたらいていないのに、神がなぜ試練を与えたのか理解できない。もし自分が間違っているなら、そのことをわからせてほしいと、神に懇願(「神への申立て」)するが、なぜか神は「沈黙」したままにいる。
 そしてヨブは、(悪魔を非難するのではなく)神に絶望しかかるのだが、最後に突然、暴風のなかから主ヤ八ウェの大音声が響いてくる。

第三八章 ヤ八ウェは暴風(あらし)の中からヨブに答えて言われた。
 この無知の言葉をもって
 経綸(はかりごと)を暗くする者は誰か。
 君は男らしく腰に帯せよ。
 わたしが君にきくから、わたしに答えよ。
(中略)
 第四〇章 ヤ八ウェはヨブに答えて言われた。
 全能者と争う者はこれを批議しうるのか、
 神を非難する者はこれに答えよ。
 〔ヤ八ウェは暴風(あらし)の中からヨブに答えて言われた。
 わたしが君にきくから、わたしに答えよ。
 君は男らしく腰に帯せよ。〕

 君はわたしの公義を否定し、
 わたしを非とし、自分を義しとするのか。

【『ヨブ記』第38章 142・152ページ】

神の臨在に圧倒されたヨブは、主ヤハウェに答えて言った。
「わたしはあなたのことを耳で聞いていましたが 今やわたしの眼があなたを見たのです。それ故わたしは自分を否定し塵灰の中で悔改めます。」
 三人の友人には神の訓戒が下され、ヨブは再び健康をとり戻し、もともと裕福だった財産も二倍に復活し、四代の孫にも愛されながら百四十歳までの長寿をまっとうしたという。
 『ヨブ記』における神の存在を、遠藤さんならどのような物語として展開しただろうか。

12 奇跡の物語はつづく

拙著『からだのメッセージを聴く』(集英社文庫、2001年)にある「奇跡」の物語を紹介しよう。1979年2月、留学先のハイスクール寄宿舎から転落した事故で脊椎損傷を負い、下半身麻痺となった山崎泰広青年は、病室を訪れた神父から「一緒にお祈りしよう」と声をかけられ、「お祈りの文句を知らない」と答えると、「神さまに感謝することができれば、それがどんな言い方だって、何語であってもいいんだよ」と励まされ、さらにこうも言われた。

「たとえば、君には何の障害もない手がある。脳だって完全だね。それから今日はどんな日だった? いい日だったかい。どんな人に会ったかね。楽しかったかい。ほーら、いろんなことに感謝できるじゃないか」

 【『愛と友情のボストン 車イスから起こす新しい風』(山崎泰広著、藤原書店)】

転落事故に見舞われた直後、急遽、渡米した彼の母親で作家でもある山崎陽子さんは、まだ深刻な病状を知らない息子に彼の下半身が絶望的であると言い出しかねて、悶々とした思いでいたときに、友人の遠藤周作さんから、次のような内容の手紙をもらった。
「神さまは愛の行為しかなさらない。自分もかつて何度も病の床について、なぜ自分だけがこんなに苦しまなくてはならないのかと、神さまを恨んだことがありました。しかし、いま振り返ってみると、やはり神さまは愛の行為しかなさらなかったと思います。今回の事故も、坊ちゃんにとってよかったということにいつかなるでしょう」
 しかし、陽子さんは病院にある小さなチャペルのマリア像の前にぬかずき、「こんなひどいことが、愛の行為であるはずはない。イエスさまが十字架にかかった、あんな悲しい思いをされたあなたは、母親の悲しみをよくご存知のはずなのに、なぜこんなひどいことを……。マリアさま、いますぐ息子の足に奇跡を起こして」とひたすら祈った。

また、山崎陽子さんのやはり友人である作家・三浦朱門さんに、「できることなら、母親である私が息子の運命をかわってやりたい。私はすべてを犠牲にしてでも、彼の足になってやりたい」という意味の手紙を書いたが、三浦さんから厳しい内容の返信が届いた。

「もし、泰広君が母親を犠牲にして幸せになることを喜ぶ青年なら、彼は母親に犠牲になってもらう価値はない。また、母親であるあなたなら命をかわってやれるが、息子にはとてもその試練を乗り越える力がないと思うのなら、あなたは息子さんを見くびっていることになる。奇跡というのは、立てない足が立てることではない」

ある日、彼は自分の下半身が絶望的であるという現実を知ることになった。そのとき、彼は頭を冷やしていたガーゼを眼の上にスッとずらした。陽子さんは、ハッとした。しかし、次の瞬間、ガーゼをパッとはねのけた彼は、「(立てないからといって)ぼくが不幸になるはずはない」と言って、にっこり微笑んだ。そして退院するまでの間、事故で手足を切断したり、下半身不随になった患者がいると、彼はその病室を訪れ励ますようになり、やがて「ミスター・インディペンデント」と呼ばれるようになったのである。
 わが子の身代わりになりたいという陽子さんに、厳しい手紙を書いた三浦さんは、遠藤さんとの対談集『僕のコーヒーブレイク』(主婦の友社、1981年)のなかで、次のように述べている。

奇跡というのは、立てないでも、立つことよりもそのほうがよかったと思うとき、そのとき奇跡が訪れたんだ。ぼくは、世の中にありうべからざること、理論的に説明のつかないことが起こったってかまわないけど、それも奇跡だと思うけど、それだけが奇跡じゃなくて、どんな状態でも、考えもつかないような結果を生むこと、それが奇跡だと思う。

【『僕のコーヒーブレイク』】

山崎泰広さんは、その後、ボストンカレッジ経営学部でマーケティングとコンピュータ科学を学び、帰国後、身障者関連機器の輸入販売とコンピューターコンサル ティングを行う会社を設立した。1999年からは日本身体障害者社会人協会会長を務めている。
 肉体的には車イスに座っているが、精神的には立派に立っている。
 いまもなお、山崎さんのすばらしい「奇跡」の物語はつづいている。

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