語り部通信

連載コラム『病院はチャペルである』――遠藤周作の祈り――

第3回 遠藤さんのひと言
「トキちゃん、肛門科の女医にならんか」

『日本ではじめての「女性」による「痔」の専門医』

これは、マリーゴールドクリニック(東京・赤坂見附)のホームページに掲げられた「ひと言」プロフィールのコピーです。
山形県出身の院長・山口トキコさんは、父方の先祖が代々医者で、三代前にその流れが途切れていたこともあり、祖父は孫娘を医者にしたがっていたそうです。小学校三年生の作文に「医者になりたい」と書いた山口さんでしたが、1982(昭和57)年の春、ごく自然な流れで東京女子医科大学に進学します。そして、日夜勉学にいそしむ医学生の山口さんに、作家の遠藤周作さんと巡り合うチャンスが訪れます。

「(芝居を)やる人天国、見る人地獄」で知られる素人劇団「樹座」(遠藤周作座長)は、毎年、『週刊新潮』誌上で座員募集を告知していたのですが、山形にいるお母さんが東京で学ぶ娘に無断で樹座のオーディションを申し込んだのです。ところが、審査日の直前に高熱で体調を崩したために、オーディションを受けられませんでした。すでに、便箋に書いた履歴書と、大学のセミナーハウスで撮った写真は送付ずみです。そこで、山口さんは樹座の幹部スタッフ、Iさんに電話を入れて、急な高熱で欠席した理由を訴えたのです。

それからしばらくたったある日、山口さんに突然、一本の電話が入りました。
「遠藤だけど」という電話です。

思わず「どちらの遠藤さんですか?」聞き返しましたが、「キミ、オーディションを休んだね」という声は、遠藤周作座長にちがいありません。そして「赤坂見附の貸しホールで(樹座の)練習があるが、見にこないか」という直々のお誘いがあり、それから間もなく樹座の稽古場で、遠藤さんに会うことになりました。

ちょうどそのころ、ご自分の長い闘病体験から患者本位の医療を求める「心あたたかな医療」キャンペーンを始めた遠藤さんは、私(原山)が担当していた『わたしの健康』(主婦の友社発行の健康誌)の連載企画『治った人、治した人』で、東西両医学の第一人者から民間医療まで幅広い治療家の方々との対談を重ねておられました。

「いま(女子医大で)、あなたはどんな勉強をしているの?」
  遠藤さんは、初対面の山口さんにこう質問しました。
「親は皮膚科の医者になってほしいようですが、まだはっきりしていません」  
 と正直に答える医学生の山口さんに、次のようなアドバイスをされました。
「これからの医者は、単なる専門バカではいけない。患者は理系じゃないよ、みんな文系なんだから、文系にもわかるように説明を心がけること。いま学んでいる西洋医学だけでなく、もっと視野を広げてほしい。世の中にはいろんな治療があるんだよ」

その後、遠藤座長から「樹座」の座付きドクター(まだ医学生の身分で、医師ではなかったが)を命ぜられました。1986(昭和61)年には、劇中劇に『椿姫』が入る新しいスタイルのオペラ『蝶々夫人』を上演した英国ロンドン公演にも同行しました。

さて、遠藤さんは1983(昭和58)年5月、東京・南青山の平田肛門科医院で痔(血栓性外痔核)の日帰り手術を受けたのですが、その待合室での様子を次のように語りました。
「待合室には、若い女性が円座クッション(お尻の痛みを和らげる、中央に穴の開いたドーナツ型クッション)に座って、恥ずかしそうにうつむいていたよ。私はジロジロ見ていたわけじゃないが、かわいそうな話だ。どうだ、トキちゃん、肛門科の女医にならんか」
「若い女性が……、そうなんですか! えー、私が肛門科の医者に、ですか」

その当時将来自分が肛門科医になるとは夢にも思わなかった山口さんは、遠藤さんのやさしい心に感動しつつも、最後の言葉だけは突然の提案でもあり、何となく聞き流していました。

やがて、医師免許を取得した山口さんは女子医大の第二外科に入局し、研修を受けます。そんなある日、外科の外来に女性患者から電話がかかってきました。
「女性の先生にお尻を診てほしいのですが?」

そのとき、山口さんは「トキちゃん、肛門科の女医にならんか」という言葉を思い出していました。人間観察を重視する作家の目から、女性患者が恥ずかしい思いをしなくてすむように、遠藤さんは女性の肛門科医が必要だと直感的に感じられたのでしょう。

大学の医局(勤務医)での臨床経験を積んだ山口さんは、外科のなかでも脳外科や心臓外科ではなく、肛門科(大腸肛門科)の専門医をめざす決心をします。
「大きな手術、たとえばガンなどの手術は複数の外科医によるチーム医療です。自分が長く外科医を続けられる仕事、なかでも女性の肛門を診てあげられるのは、私しかいないのではないか、そう思ったのです。結局は、遠藤先生の言葉通りになりましたね」

そこで、日本を代表する大腸肛門外科の名医、隅越幸男さんの門を叩き、社会保険中央病院(現・東京山手メディカルセンター)大腸肛門病センターの勤務医となります。

同センター長の隅越医師から「君が(大腸肛門科の)女性研修医、第一号だよ」と言われて、「えー、私が初めての女性研修医ですか?」と驚いた山口さんでしたが、その後も、専門医として出席した大腸肛門病学会で、女性医師が自分以外に誰ひとりいないことに驚かされました。いまでこそ、多くの女性医師が肛門科で働いていますが、そのころは肛門科といえばすべて男性医師という時代でした。

2000(平成13)年2月1日、赤坂見附の外堀通りに面したビルの一角に、マリーゴールドクリニック(肛門科、胃腸科、内科)がオープンします。ちなみに、キク科の花であるマリーゴールドは「聖母マリアの黄金の花」という意味で、黄色いマリーゴールドの花言葉は「健康」、また日本では肛門の外見が「菊の花」に例えられることから付けられた名前だそうです。
「開院当初、マリーゴールドという花の名前から、美容系のクリニックと間違えられたこともありました。大腸肛門科だけでなく内科の診療も加えたのは、八割以上を占める女性患者の痔だけではなく全身も診たいと思ったからです」

日々の診療では、何よりも「患者の訴えに耳を傾ける」心構えを大切にする山口さんは、仮にEBM(治療の科学的根拠)が曖昧な民間療法であっても、頭ごなしに否定することはしない。まず患者の訴えや言い分に耳を傾け、その話を聴いてあげることが、患者の不安を受けとめ、それが心の励みになるのなら、聴く努力を惜しまない、というのです。
「患者に本当のことを、すべて言ってもらわないと、よい治療はできません。患者と医師の間で、もっとも大切なことはお互いの信頼関係だと思います」

かつて医大生だった山口さんが、初めて遠藤さんと出会った35年前、ときを同じくして始まった「心あたたかな医療」の願いは、そのまま山口さんの診療に受け継がれています。