語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポートD

ビフォア/アフター、ゑびす顔。

 

遠藤周作さん発案による連載「治った人 治した人」(『わたしの健康』1981〜84年)は、まず、鍼灸・漢方薬・整体治療などの東洋医学、昔ながらの民間療法、そして話題の最新医療まで、その治療を受けて「治った人」(複数の体験者)を取材して、次に、鍼灸師、漢方医、西洋医、歯科医、薬草研究家など、患者を実際に「治した人」(治療家)と遠藤さんが対談するという「ちからこぶ」企画だった。
 連載は4年つづいたが、私が『主婦の友』(読み物デスク)に戻った1年を除く3年間(36回)は、毎月のテーマ(治療法)を提案するために、さまざまな資料に目を通し、代替療法にくわしい専門家の話を聞いた。

と書くと、いかにも担当者がテーマ探しに苦労したようだが、実際には遠藤さんの特ダネ情報が、月に4つか5つ、電話で寄せられる。この連載以前から温めていた名医の情報、空港や駅の売売店で見つけた健康法の新書・雑誌情報、自らが主宰する劇団樹座[きざ]や宇宙棋院[うちゅうきいん]のメンバーからの情報などが、多彩な人脈を総動員して集まってくる。
 それは、貴重な情報ではあるが、地曳き網漁のように網にかかった魚をこの目で見ないと、大物の魚(採案)か雑魚(ボツ)かがわからない。それを確認するのが担当者の仕事だが、玉石混交の健康情報は半端な数ではない。
 ご存じのように、遠藤さんは「せっかち」な性格である。思い立ったら、すぐに電話をかける。会社が休日のときは、担当者の自宅にかけてくる。

「お父さん、遠藤とかいう、男の人から電話だよ」

ことし39歳になった長男が、まだ小学生だったころの話だが、あわてて電話口に出ながら、冷や汗をかいた。
 一回だけ、遠藤さん自身が「治った人」(体験者)で登場した。4年間の連載が終了して半年後、遠藤さんから電話があり、番外編「治った人 治した人」(1985年8月号)で、記事のタイトルも「遠藤周作さんの髪がよみがえった」として掲載された。
 「頭皮緊張緩和器[とうひきんちょうかんわき]」という器具を3カ月間装着して、後頭部の髪の毛が確かに濃くなった、遠藤さんのビフォア/アフターが誌面を飾っている。
 得意満面! 遠藤さんのゑびす顔。