語り部通信

周作クラブ会報 「からだ」番記者レポート@

遠藤さんの体験代行

 

「関口君に聞いたのだが、健康雑誌に異動したそうだな。どうだ、医者や治療師を訪ねる連載をやらんか」
それは遠藤周作さんからの電話だった。『治った人、治した人』という連載名もすでに決まっていた。しかも、「担当は原山君で」というご指名である。目の前で大きな光が輝いた瞬間だった。

1980年の秋、それまで女性誌の編集記者だった私は、突然、健康雑誌の『わたしの健康』に異動となった。しかし、病気の治療や高齢者の取材など考えたこともなかった私は、ひどく落ち込んだ。そんな私を心配した先輩の関口昇さんが、健康雑誌での連載企画を遠藤さんにもちかけた、それが真相だった。
関口さんは、1963年の『主婦の友』に連載された小説『わたしが・棄てた・おんな』の担当者で、遠藤さんを中山競馬場に誘って馬券を買った話や、飲み屋で「アンタ、遠藤周作に似てる」と言われ、黒メガネをずらして「そうなんや、よく間違われて迷惑しとる」と応じた話など、とっておきの狐狸庵噺≠伺ったことがある。
さて、『治った人、治した人』には、遠藤さんからの注文が二つあった。
まず腰痛が「治った人」を複数取材して、それが概ね信頼できると判断したら、その腰痛を「治した人」に遠藤さんが対談して質問するという注文である。実際に「治った人」を取材して、あるいは「治した人」の周辺情報を集めて検討した結果、その企画をボツにしたことも何回かあった。なかなか手間とお金(謝礼)のかかる注文だった。
二つ目は、「自分で」試せる治療法は「体験する」という注文である。
「胎盤埋没療法」を取材したときのこと。これは「胎盤(プラセンタ)」を上腕部の皮下に注射する免疫療法だが、「君からやり給え。ボクは君が大丈夫だったら」とおっしゃる。しかし、一カ月後に「大丈夫でした」と報告したのだが、「そうか、よかった」のひと言のみ。ほかにも「メガビタミン療法(ビタミンCの大量摂取)」や「(マイナス150度の治療室で行う)冷凍運動療法」など、もっぱら私が「自分(遠藤さん)」の体験代行を務めたのである。

「ボクの役目はアジテーター、やるのは君たち(の仕事)」と涼しそうに語る遠藤さんの言葉は、私のライフワークにつながる応援歌となった。